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第二弾 井田の歴史は神庭(かにわ)遺跡から

公開日時:2015年9月25日 PM 14時


1972年(昭和47)今から43年前の夏、井田山で初めて本格的な発掘調査が行われました。県立中原養護学校の建設に先立って行われた神庭遺跡の発掘です。この時の発掘は、学習院大学、中央大学、明治大学、青山学院大学、國學院大学など東京の主な大学が夏休みを利用して合同で行いました。このような合同調査は今ではほとんど行われなくなってしまいましたが、実は当時中学生だった私もほんの少しだけこの発掘に参加させてもらっており、今でもあの暑い夏の日をはっきりと覚えています。
神庭遺跡は、縄文時代から弥生時代そして古墳時代にかけての住居跡が100軒以上発見された県内でも最大規模の集落遺跡で、この調査によって井田の古い歴史が一気に解き明かされることとなりました。中でも米づくりの始まった頃の弥生時代の家のあとが60軒も発見されたことは、この地域の歴史を知る上での大切なポイントとなります。
井田の地名はおそらく田んぼが多かったところから付いたのでしょうが、その名は平安時代末までさかのぼれます。そして60軒もの弥生時代の家が神庭遺跡から発見されたことによって、井田の田んぼの始まりが、さらに2000年も前にまで遡ることが明らかになったのです。井田山の開けた丘陵の上に大きな村を作り、その下の矢上川の沖積地では田んぼを作っていたのでしょう。今のところ当時の田んぼそのものは見つかってはいませんが、市営バスの井田営業所あたりで弥生時代の田植えが行われていたかもしれません。しかし、寂しいことに現在井田から田んぼは完全に消え去り、弥生時代から続いた田んぼの長い歴史も、わずかに井田小の校庭でその伝統が引き継がれているだけとなってしまいました。
その後、田んぼを作った神庭の人達の中から、その村を統率する人が出てきたようです。遺跡の西側に3基の古墳、蟹ケ谷古墳が造られました。その内の1基は、規模は小さいですが川崎市内では非常に珍しい6世紀代の前方後円墳であることが確認されました。神庭遺跡に住んでいた人の中から出た村の有力者が祀られていたのかもしれません。この蟹ケ谷古墳については現在5ヶ年計画で確認の調査が進められています。
神庭遺跡では、昨年の夏に「もえぎの丘」の建設に先立て3回目の発掘が行われました。40年以上経って調査の機械化とデジタル化は進みましたが、汗を流し地道に人の手で少しずつ掘り進めていく発掘方法そのものは、40年前と少しも変わっていません。歴史を解き明かしていくことは時間と手間のかかる作業ですが、こうして2000年前の歴史が徐々に明らかにされていきます。
県立養護学校には、43年前に発掘された縄文土器や弥生土器の一部が展示されており、事前に連絡すれば誰でも見学することもできます。井田山に登ったらちょっと覗いてみて下さい。
「井田の歴史を解き明かした合同調査」
「汗を流す地道な発掘作業」
「井田の米作りは2千年前から」
「その伝統は井田小の田んぼへ」
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